この冬、酒蔵7代目の洋平のそばには、誰もいなかった。
朝の5時に目を覚ますと酒蔵に足が向かっていた。
広島可部の冬は、とにかく寒い。
白い息をアルコールの度数を計る機器に、吹きかけた。
茶色に近づいた軍手でこすって、かすかに示した温度を確認して、ようやく目が覚めた気がした。
「うまくいっている
もう少しで、俺の酒が産まれる」
周りはまだ暗い。
旭鳳酒造は1865年に創業された江戸時代からの酒蔵だ。
広島の太田川の清水はその上流の可部でさらに源泉に近づき、地域を代表する酒が産まれた。
父が亡くなったのは去年だ。
洋平はまだ20代の後半だ。
酒蔵7代目は小さいころから遠くの雲を見るようにぼんやりとは見えていた。
大学を卒業したらすぐに旭鳳酒造に入社した。
それが当たり前のように育ってきた。
小さいころから何の不思議もなく酒蔵の主になることは分かっていたが、あまりに唐突な父の死だった。
まだ試行錯誤どころか遠い雲のままだ。
傍に母が立っていた。
母は洋平に呟いた。
「父の死は洋平の始まりだから、父が思い切ってやったように、あなたはあなたの酒を造りなさい」
どこから湧くのかその自信は洋平の確信にまで導いてくれた。
「変える」
洋平は変わるのではなく変えるを選んだ。
遠くに見えるものを目標にする時間はない。
「酒は変えるが、伝統は変えない」
産まれた酒は「TAIHEI」だった。
20日間の洋平が待ち望んだ酒がバルブからこぼれてきた。
味わった酒は満足するものだった。
振り返ると嬉しそうな母がそこに立っていた。